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中日スポーツの一面がおかしい Feb 14th

私は中日スポーツを毎日読んでいるのだが、今日の第一面には目を疑った。

デスペラード持田の場末ドリーム 

地球規模の愛と平和の祭典、バンクーバーオリンピックの記事のほとんどを後ろに回して、一面には沖縄で行われた中日ドラゴンズとサムスン(韓国)の練習試合でドラゴンズの伊藤準規投手がいいピッチングを見せたという内容の記事と大きな写真。

公式戦なら中日ドラゴンズと中日スポーツとの関係を考えて、五輪期間中でも一面にドラゴンズの大きな写真が来てもわかるが、シーズン前の練習試合。

なんとかならなかったのか。


と他の地域の人にとってはどうでもいいネタで釣っておいて、本題。


女子モーグルの選手 

全員予選を通過して、黄金時代到来を思わせる活躍。

ここまで2個のメダルをとって永年、モーグル女王として君臨してきた里谷多英のトライアルは迫力があった。

国民の期待、注目は愛くるしい笑顔とここまでメダルが獲れていない上村愛子にどうしても集まりがちだった中、彼女の燃える闘志を感じることができた。

スキャンダルもあり、一時期は嘲笑の対象にまで堕ちた彼女だったが、これがメダリストという気迫を見せつけられた。


上村愛子(皆川愛子)は彼女のポテンシャルをすべて出し切ったと思う。

得点にも表れているように1位から3位までの選手があまりにも凄すぎた。

可愛い笑顔が印象的な彼女、ここではいちいち紹介するのもおぞましいくらい苦労があったという。

これからどうするのかわからないがとりあえずお疲れ様。
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北京五輪と祖父

今日、北京オリンピックが開幕した。

同時に今日は私にとって特別な日である。

2004年に死去した祖父・喜一の命日だ。

2004年8月7日、私は急に降り出した激しい雷雨を見ながらサッカー・アジアカップ決勝 日本VS中国の戦いを始まるのを家で待っていた。

中国で行われたアジアカップ2004
バーレーンなど中東の国と日本の対戦で中国人が日本をボールを持つ度に反日ブーイングをするなどして話題になった大会だった。 

スープが冷めない距離にある本家から突然の電話で家中が大騒ぎになった。

かけつけると祖父が口を開けてかたまっていた。

「昔々、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは川へ洗濯へ おばあさんは芝を刈ってくさかった~」

などといつもバカなことを言っていた祖父が動かない。
入れ歯をカスタネットみたいにして遊んでいた祖父が動かない。
私が高校生の時に心臓で倒れてから調子が今一つでずっと覚悟はしていたのだ。それでも驚いた。

この日もディサービスでしっかり遊んだという。
数日前は90歳なのにピンポンでスマッシュを決めていたという。
(祖父は卓球のことは必ずピンポンと呼んでいた)

覚悟はしていたのに雷で驚いただけだと自分に言い聞かせていた。
救急車に祖父を載せたのは、本家に住む従兄弟ではなく、私と救急救命士だった。

病院へかけつける車の中で私はカーナビのテレビで少しだけアジアカップを見た。

日本がボールを持つ度に中国人の観客から激しいブーイング。
あんたら中国人と戦争で戦ったのは90歳、大正2年、1913年生まれの今、生死をさまよっているおじいさんたちじゃないか。

まだ戦争は、戦後という時代は終わってないのか…。

複雑な思い。
私はテレビを消した。

次の日の早朝、2004年8月8日。
祖父は息を引き取った。
そして日本は前日のアジアカップで完全アウェイ、反日ブーイングに囲まれた環境の中で中国を下し、優勝した。


北京五輪の開会式が8月8日に決まった時、私は因縁のようなものを感じた。

「おじいさん、中国でオリンピックがはじまったよ。」

と開会式を見ながら私は心の中でつぶやいた。


実を言えば、祖父の弟、ケンゾウ(字は不明)は満州で戦死している。
だけど中国を悪く言うことはなかった。
それどころか戦地で覚えたという中国語を面白おかしく話していた。
また祖父は当時の軍部も天皇陛下も恨んでいなかった。

「喜一さんは中国語をよく教えてくれたし、卓球が上手でしたよ。」

20そこそこの介護士の女の子が亡骸の前で涙ながら語っていたのは忘れない。

おじいさんとかおじいちゃんでもなく、あんどうさんでもなく、喜一さん。不思議な感じがした。最後まで男だったんだなと。

よく怒りはしたが、祖父が蔭口を叩くところはみたことがなかった。
そのことは通夜、葬儀で近所の人の話を聞く限り、生涯貫き通したようだ。祖父ながら誇らしく思った。
生涯の大半は兼業農家で過ごし、自民党員だったのに民主党の関係者が通夜、葬儀に来ていたのも納得できる気がした。

多かれ少なかれ起こるとされている北京五輪での暴動。
どうか祖父のためにも起こらないでほしいものだ。

写真は左側の陸軍が私の祖父、右側が海軍所属だった祖父の弟である。
昭和20年(1945年)1月9日に撮ったものという。
撮影した直後、祖父の弟、ケンゾウは亡くなった。


$デスペラード持田のブログ
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団塊世代のオリンピックへの関心はすごい

有名人で言うと井上陽水とかビートたけしとか星野仙一の年代は高校生の時、東京五輪を肌で味わっているため、五輪への思いが相当熱いものがある。

私の父親がまさにこの世代で五輪がはじまると毎日夜更かしして、さらには録画ばかりしている。みなさんの親御さんはどうだろうか?

団塊世代はもうすでに会社にほとんど残ってないと思うけど、あの世代の人たちの前で、

「オリンピックなんてどうでもいいよ。」
「テロとか起こったらおもしろいね。」
「別に日本が勝とうが負けようがどうでもいいよ。」

という態度、言動を微塵でもしてはいけない。
説教くらいならいいが、胸倉くらいつかまれる危険性がある。

さて今日は8月8日開幕の北京五輪を記念して、個人的に印象が残ったオリンピック関係の事象をまとめてみた。

個人的な夏季オリンピックで印象に残ったこと

1.マイアミの奇蹟(1996 アトランタ)  

サッカーで前園さんが中心の日本がブラジルに勝って、大騒ぎ。

大学1年で前期試験中だった。宗教学の先生が

「みなさん今日はブラジルに勝ててうれしい。よほどひどくなければ「可」にはしますので、答案埋めてくださいね」

と試験の前に言ったことが印象的

2.ベン・ジョンソンのドーピング(1988 ソウル )

100m競争でカナダのジョンソンが世界新記録で金メダルをとったが、すぐにドーピングが発覚で失格。

まだ小学生だったのでベンジョ(便所)がクスリを使った!とか、
運動会で1位とったやつに「おまえも使ったの?」と聞くのが流行った。

3.岩崎恭子14歳で金メダル (1992 バルセロナ)

自分より一つ年下の同じ中学生が金メダルってのは相当なインパクトだった


4.開会式 (1996 アトランタ)

キング牧師の演説が取り入れられたり、かつての金メダリストのボクサー、モハメド・アリがパーキンソン病で震える体で聖火台に火を入れたのが感動的だった。

NHKのアナの実況が非常によかった。

金メダリストになっても黒人であるがために差別されたアリは川へメダルを投げ捨てた例のエピソードをかなりの名調子で実況していた記憶がある。

5.バスケットアメリカのドリームチーム (1992 バルセロナ)

にわかNBAファン大増殖。下敷きや筆箱をシカゴ・ブルスやロサンゼルス・レイカーズにするやつとか現れる。ま、スラムダンクもあったし。

6.カール・ルイス (1984 ロサンゼルス)

コナミのハイパーオリンピックの黒い方のモデル、たけしのスポーツ大将のコカール君のモデル。
当時、まだ小学1年生。私と同世代だといまだに足が速い人と言えば、カール・ルイスかナムコスターズのぴのだと思う。


7.プロアマ混成の中途半端なメンバーで行ったら惨敗の野球 (2000 シドニー)

敗因は松坂が柴田アナと試合直前に遊んでいたとかいろいろ言われるが、メンバーが中途半端すぎた。
今は綺麗な中村紀洋が当時大変汚らしい成金っぽいスタイルだったのが印象的。

8.ジョイナーの爪 (1988 ソウル)

100m走の女王、フローレンス・ジョイナーの爪が異様に長かった。
「ウォーズマン」と我々は呼んでいた。

9.ヤワラちゃん負ける (1996 アトランタ)

北朝鮮の無名選手に負けたとき、相当驚いた

10. 鈴木大地バサロで金メダル (1988 ソウル)  

小学5年生だった。みんなで学校のプールで真似したら、鼻に水が入って大変だった。




さて、みなさんが印象に残ったオリンピックのシーンはなんですか?

クルム伊達はキン肉マンファン

現役復帰したテニスのクルム伊達公子(37歳・フリー)は3日、岐阜で開かれているカンガルーカップ国際女子オープンのシングルス準決勝でメラニー・サウス(英国)をストレートで降し、決勝に進出。

http://mainichi.jp/select/today/news/m20080503k0000e050032000c.html

96年に引退し、12年ぶりに復帰した伊達。現役復帰の理由は、若い選手に刺激を与えるためである。

いくら体を鍛えていたとはいえ、実践から離れ過ぎで苦戦するだろうと思っていたが、上記のとおり決勝まであがってきた。

伊達のこの復帰を見て、ある人を私は思い浮かんだ。
キン肉アタル(キン肉マンソルジャー)、有名なマンガ「キン肉マン」の主人公キン肉スグル(キン肉マン)の実兄だ。

幼い頃、アタルはキン肉王家の厳しい英才教育に嫌気がさし、家を飛び出した。しかし、キン肉マンがキン肉星大王の王位を争う戦いを迎えるにあたって、キン肉マンソルジャ-となり、弟・スグルの前に現れたのだった。

理由

スグルたち正義超人の友情は馴れ合いになってしまって、本当の友情ではなくなっている。アタルがリングに上がり闘いの中で真・友情パワーというものをみせるため

絶対、これはキン肉マンの兄貴の真似だよね?伊達さん。
(ソースはありませんので注意)

手打ち野球

子どものころ、あなたは手打ち野球をしたことあるだろうか。

小学校の放課(授業の合間の休み時間のこと。名古屋では一般的に使う)
でもっともポピュラーな遊びだった。

道具はボールだけ。ベースもバットもグラブもいらない。拳とゴムボールがあればできる野球。人数も透明ランナーを採用したり、キャッチャー、審判をかわりばんこでやったりするので1チーム3人いれば十分。

下投げでやるのでジャストミートも簡単で超打高投低のスリリングな展開が期待できるなかなかエンターテイメント性の高い遊び。ゴムボールだから民家の硝子や守備の人の顔面に当たっても大丈夫な安全性も高い子どもの遊びとしてはすばらしい遊びだ。鉄棒のグライダーの危険度が100、ドッヂボールが70とするとたぶん5くらいのもんだろう。

学校が終わると、今度は公園に集まって、カラーバット(プラスティック製のバット)で野球。またしてもゴムボール大活躍である。
カラーバットを使う場合、オーバースローは解禁になる。
また試合展開が一方的なときは落合やクロマティのフォームをまねて打つヤツがあらわれるなどエンターテイメント性の高い遊びであった。
なおカラーバットは反発力を強くするために、ビニールテープをガチガチに巻いたり、砂を中に入れて硬くするのが流行った。プレイで貢献できなくても強力なバットを製作するバット職人は持て囃された。技術大国日本の礎ここにありといった感じであった。

今の子どもも公園をみると似たような遊びをしている。
サッカー王国静岡はともかく日本の公園や広場にサッカーゴールなんておいてないのでサッカーの文化は育ちにくい環境だとつくづく思う。
欧州には芝を張ったサッカー場がそこら中にあるのに対し、日本ではサッカーゴールがおいてあるところは学校くらいでしかも土のグランド。
これじゃなかなかスターは出てこないわけだ。
プロフィール

デスペラード持田

Author:デスペラード持田
名古屋グランパス、カズファンだが、サッカー実技は母校・惟信高校の練習試合用シャツの10番をウケ狙いで着せられたCF、OH。カズの代表復帰、Jリーグの改革案を日夜、中日スポーツに投書していた。サザエさん、Every Little Tihng持田香織を寵愛。愛知学院大学歴史学科卒。卒論は近衛文麿内閣について。カレー、ガイア、カンブリアも大好き IS01、IS05ユーザ

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