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10.8 ナゴヤ決戦 その10

ドラゴンズが10.8で負けた理由~高木守道の苦悩~

 1998年ワールドカップ予選リーグで負けた時のラモスみたいだが、10.5あったゲーム差を追いついた勢いがあり、さらには巨人キラーの今中(ナゴヤ球場の讀賣戦11連勝中)を先発投手に持ってきて優勢であったはずの中日がなぜ負けたのかをこれから考えていきたい。

 序盤のミスが大きい

まず小森の送りバント失敗、大豊の併殺打、今中の送りバント失敗、中村武志のカウント間違えから発生した飛び出しなど再三に渡る序盤の好機を潰すミスが大きい。槙原の調子が悪く本当ならもう2~3点とれてもおかしくなかったはずだ。

 大豊 パウエルがチャンスで打てなかった

 パウエルはチャンスメーカーにはなったが、還す男にはなれなかった。大豊に至っては4打数0安打。主軸がこれでは勝てない。

 巨人キラー今中の替え時の誤り

 次に先発投手、今中を引っ張りすぎたこと。絶対的な巨人キラーの今中とはいえ、負けたら終わりの試合、落合にタイムリーを打たれた時に替えるべきではなかっただろうか。
 今中から替えた投手もよくない。山田喜久夫、佐藤、野中。シーズン中の普通の試合ならローテーション、回数、点差から考えると正しい投手起用だが、10.8は130試合目、絶対負けられない最後の試合。山田喜久夫、佐藤、野中は登板するには相応しくない投手だろう。

 なぜ郭源治は登板しなかったのか?

 9月28日6回、10月1日1回2/3しか投げていない郭を今中が打ち込まれているのにリリーフさせなかった中日とは対照的に讀賣はそれほど登板間隔が空いてない槙原(前回登板10月6日、0/3回)、斎藤(同10月6日 6回)、桑田(同10月5日、8回)の3本柱をなりふりかまわず起用して継投を成功させた。

 山本昌は10月6日に6回投げており、無理だったのかもしれない。だが一週間以上登板間隔が空いていた郭源治は投げれたはずだ。高木守道監督になぜ投げさせなかったのかといいたい。投げさせなかった理由、それは郭に防御率のタイトルがかかっていたことを考慮したからではないかと思う。怪我をしているわけでないのに巨人とデッドヒートをする中、10月1日以降まったく登板がなかったことが何よりの証拠だ。

郭が競っていた相手は斉藤、桑田。かろうじて斉藤、桑田の防御率を上回っていた郭。もし斎藤が残りをゼロに抑え、郭が打たれたら郭の防御率タイトルはなくなるから郭を登板させないという高木監督の私情があったと感じる。郭が投げていたら試合の結果は変わっていたかもしれない。

 私の憶測があっていたとしたら、立浪ように自分が犠牲になっても勝とうとした選手がいるのにとても滑稽だと思う。

郭は終盤投球練習をしていたし、山本も自ら志願してベンチ入りして中盤から投球練習をしていた。私は投げて欲しかった。
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10.8 ナゴヤ決戦 その9

オレンジと黒のメガホン破壊

 10.8の翌日9日は日曜日、10日は月曜日だが体育の日。10.8が終わってはじめて惟信高校へ行った日は10月11日火曜日だった。あいだに休みが2日間あったものやはり10.8は話題の中心だった。野球に興味のないと思っていたクラスの女の子もすごかった、悔しいと友達同士で話していたし、先生によっては授業の大半を潰して10.8の話をした。なかでも英語グラマー担当の先生は延々と立浪の話をしていたと印象に残っている。

 私とI、それから違うクラスのTも10.8を肉眼で観た人間。私はIと一緒にクラスメイトに俺たちはマンションの屋上へ非常階段やゴミ捨て場のゴミを踏み台にして登って実際に観た10.8、新間正次に出会ったこと、立浪のヘッドスライディング、裏切り者落合の活躍など試合の過程について熱く語り回った。そして讀賣ファンのクラスメイトをつかまえては、郭を出せば勝てたとか落合はうっとしいとか言って八つあたりをした。

 Iに限っては讀賣ファンのクラスメイトに愚痴を言ったくらいでは納まらなかったようで球場外で拾ったボロボロになった讀賣のオレンジと黒のメガフォンをカッターナイフで切り裂き、足でぐちゃぐちゃに踏み潰した。学校でそんなことやるとは恐ろしいやつだが、気持ちはわからないでもなかった。目の前で長嶋が胴上げされたのを見れば中日ファンなら誰でも頭にくるに決まっている。彼の怒りを鎮めるべく、真新しい縁なしメガネをかけた私もメガフォン破壊に参加した。このあともIは怒りが収まらないのか色々破壊したが割愛することにする。

 高木監督の退場劇

 高木守道監督は3年契約の3年目を全うし、10.8を最後にユニフォームを脱ぐことになっていた。しかし試合後、ファンからの強い続投希望、3人のベテラン選手が説得し、高木監督は契約を更改した。
 ところが翌1995年、中日はシーズン当初から最下位と低迷。シーズン半ばで高木監督は辞任を発表。辞任をする日になんと寡黙で真面目な高木監督が審判への暴力行為で退場処分を受け、多大な実績を残しながら引退セレモニーを行わないまま、ユニフォームを脱いだ。

 星野竜復活

 その後2度の監督交代劇の果て、1シーズンに3人の監督(高木、徳武、島野)が指揮を執るという異常な事態となった。成績は好転せず、終盤になるとナゴヤ球場のライトスタンドに横断幕が掲げられるなど星野監督待望モード一色に変わった。


 いけなかった10.6

 そして迎えた1996年、星野仙一がNHK解説者を経て、ナゴヤに帰ってきた。監督が星野仙一に変わった効果は覿面で中日は再び優勝争いに加わった。シーズン終盤になり、1994年の再現となった。
 1996年10月6日日曜日、首位・東京讀賣巨人軍75勝残り2試合(2試合とも対中日戦)、追う2位は中日ドラゴンズ72勝残り3試合。中日は讀賣に直接対決で2連勝し、讀賣を75勝にとどめて、残りの1試合も勝てば史上初のプレーオフに持ち込めた。逆に言えば負けた時点で讀賣の優勝が決まる断崖絶壁だった。一方の巨人は残りの2試合のうち、1勝すれば優勝、2連敗しても中日が最後の試合で負ければ1994.10.8を制して以来の優勝が決まるという優勢に立っていた。

 このような局面、私はナゴヤ球場へ観戦に行くどころか、テレビ中継を見ることもできなかった。当時、大学1年生だった私は大手スーパーの肉屋でバイトをしており、仕事でいけなかったのだった。そのかわりに私の弟が観に行ったが、10.8の時のようにマンションの屋上から試合を観ることはできなかったという。おそらく10.8のようにマンションの屋上から観戦する者が現われることを警察や球場、球団関係者は容易に予測できたのだろう。

 メークミラクル

 10.6、試合は終始巨人ペース。中日はパウエルなどクリーンナップが打てなかったのが痛かった。この日再び長嶋監督が名古屋の空に舞うこととなった。この日は中日にとって地元最終戦、しかもナゴヤ球場最後の公式戦でもあった試合に中日はまたしても敗れた。
 最大11.5ゲーム差をひっくり返しての逆転優勝。メークミラクルの完成だった。讀賣ファン、いや日本中がメークミラクルと騒いだ。長嶋は日本一の監督だとテレビでは特番が多く組まれた。屈辱的だった。


 本心か?ジャイアンツファンの皆さん、優勝おめでとう

 敗れた中日側にはナゴヤ球場最後の日だったことさえあまり取り上げられなかったが、試合後の星野監督の挨拶はクローズアップされた。星野監督は優勝の余韻に沸き返るレフトスタンドの讀賣ファンを見ながら「ジャイアンツファンの皆さん、優勝おめでとう」と言ったのだ。星野は何を言っているんだと当時の私は憤慨した。
 ドラフトで讀賣が星野を指名をするといいながらと指名をしなかった私怨がある星野。球界屈指の巨人キラー、巨人嫌いとして有名な星野仙一がなぜあのようなセリフを言ったのかよくわからない。社交辞令だったのだろうか。ただあの言葉の裏には讀賣に負けた強烈な悔しさがあったに違いない。

 レフトスタンドの讀賣ファンは拍手喝采。ナゴヤ球場は48年の歴史に幕を閉じた。(その後サザンオールスターズ、チューブがライブ球場に使ったり、今でも中日の2軍戦が行われているがすでに外野スタンドは取り壊されている。)

 時代は変わる

 星野監督は10.6から3年後の1999年に中日を優勝に導くもの2001年をもって監督を引退。讀賣の長島茂雄監督も引退し、時野流れの速さを感じずにはいられなかった。星野仙一はふたたびNHKの解説者に戻る予定だった。
 ところが何の因果なのか阪神タイガース監督・野村克也の妻、野村沙知代が脱税などで起訴され、それにともない野村監督が辞任し、阪神はなんと前中日監督の星野に監督を要請。中日ファンからの強い反対があったもの、阪神ファンの熱い要望、阪神監督就任に理解ある中日ファンの声によって縦縞の77番のユニフォームを着た星野仙一監督が誕生した。一年目は最下位に甘んじたもの開幕7連勝を含む前半の快進撃は大きな話題になりセ・リーグを盛り上げた。そして悪夢の最下位の翌年、ダメ虎を猛虎へと復活させ、圧倒的な強さで優勝へ導いた。

 時代は変わる。Tは相変わらずの中日ファンだが、Iは97年あたりから讀賣ファンに転身。時は確実に流れているのだ。



 裏切り者から英雄へ オレ流監督誕生

 FAで宿敵讀賣へ移籍、そして優勝決定戦である10.8で今中をメッタ打ちにして、讀賣を優勝に導いた落合はずっと裏切り者とされてきた。私もその一人だ。清原が巨人にFAで入団し、自由契約となり、追われるようにして日本ハム入りし、泣かず飛ばずの成績しかあげられなかった落合を見て愉快で仕方がなかった。落合=裏切り者 裏切り者=落合。名古屋ではそういうことになっていた。
 落合を裏切り者の代名詞にする名古屋市民。そんな名古屋市民の寝耳に水を入れる事件が起こった。

「落合博満 中日監督に就任」

 これには驚いた。そこそこの成績を収めたが人気が今ひとつの山田久志監督に代わって中日を指揮するのは誰かと2003年のオフ名古屋では大きな話題になっていて後任は外様で野村克也元阪神監督か中日OBでは高木守道氏の返り咲き、あるいは谷沢、田尾、牛島などが噂されていた。落合も最初から候補に挙がっていたが一匹狼だからやるわけがないとか、天才肌で人にモノを教えるような性格ではないと言われていたし、讀賣に行った裏切り者にはなってほしくないと落合監督誕生は望まれていなかった。人気獲りならう~やん(宇野勝)でいいじゃないか。それが中日ファンの意見だった。
 そして蓋をあけてみれば落合監督誕生。次から次へと飛び出す発言。「この戦力で十分です。日本一になれます。補強はしません。」という補強と現状選手の解雇と移籍の封印を宣言したのがその最たるものだ。3年間一軍で一球も投げていない川崎を開幕投手にするいわば暴挙ととも言うべき奇策までやった。


 「落合は頭がおかしい。」

 とファンの頭を悩ませたが、終わってみれば実に安定した成績をおさめ、堂々の優勝。後半戦に突入したころから、得点力がなくても安定した投手力、守備で勝ってしまう落合ドラゴンズの野球はオレ流野球という呼び名で定着していたの実に興味深いことだ。



 余談だが10.8ナゴヤ決戦後、お好み焼き屋で会った新間正次はその後、元新日本プロレス過激な仕掛け人・新間寿と兄弟であるためかデスマッチ系のプロレス団体に入門をしようとしたり、孤高の天才漫才師、横山やすしの最後の相棒となるがどれも不発に。今、一体何をしているのか不明。

10.8 ナゴヤ決戦 その8

守道、夢をありがとう

 小森が三振に倒れ、ガッツポーズをする桑田真澄。讀賣の選手が一斉にマウンド付近に駆け込んだ。胴上げされるミスタープロ野球こと長嶋茂雄。

一番見たくないものを生で見てしまった。


「長嶋帰れ!帰れや!落合、てめえのせいだ!」


時に神様のように扱われる長嶋茂雄に向かって、私は腹の底から叫んだ。

 K会などの讀賣私設応援団がトランペットで演奏する讀賣の選手別応援歌を声高らかに歌う三塁側の讀賣ファン。マンション屋上に残る真性中日バカはやけを起したのか、残った紙テープ、紙吹雪をスタンドに向かって投げた。そして讀賣ファンが歌う応援歌をかき消すかのように燃えよドラゴンズを何回も歌った。

 ふと足元を見ると守道監督夢をありがとうと感謝の言葉を綴ったB紙で作られたお手製の横断幕があった。私は誰が作ったわからないくしゃくしゃになった横断幕を両手で頭上に持ち上げ叫んだ。

監督辞任かどうかで揺れ動いていた高木監督に来年もやってくれと夢をありがとうとそんな気持ちを叫び続けた。だから長嶋監督が優勝インタビューで何を言ったのかまったく記憶がない。私たちは声を枯らし、立浪、彦野などの選手の健闘を称えた。

また来年があると声をかけ、宥めるてくれる人もいた。

 愛知県警突入

 興奮冷めあがらぬ、ナゴヤ球場、そしてナゴヤ球場レフトスタンド後方のマンション屋上。敗れた中日側のファンもなかなか帰ろうとしない。そこに我々の興奮を一気に冷めさせる人たちが梯子を屋上にかけ上がって来た。国家権力、愛知県警だった。やばい。来年、大学受験があるのに補導されるのか。停学になる。

 しかし県警は意外な対応をした。怪我しないように下りてくださいと何のおとがめなしに屋上にいたファン、もしかしたらフーリガン?を帰したのだ。屋上に100人は確実にいた。特に犯罪の気配はないし、あの人数では捕まえるわけにはいかなかった。

 暴動か!?

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 スタジアムを彩っていたカクテル光線は消え、真っ暗になったこともあって、両チームのファンは余韻に浸りつつ球場の外へ出た。球場の外に出ても敷地内にとどまる人が多く、それぞれの応援歌を歌い、メガホンや応援バットを叩いて騒いだ。
 敷地内にはパトカー、護送車警察車両、救急車両が何台も停めてあり、ガードマンの他に警察、機動隊員まで配置され、物騒な雰囲気だった。異様な雰囲気でテレビ番組の警察24時さながらであった。



 メガホン、応援バットといったプラスチックの打楽器の音が鳴り止まない中、両チームの私設応援団が小競り合いを始めた。すわこそ、暴動かと思われたが、R会の幹部と思われる人物がR会の若者たちの暴走を止めた。これでよかったはずだが、不謹慎にもあのままケンカして暴動になったらニュースになる事件を生で見れたのにと思ったりもした。 


 新間正次

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 次に我々はタクシーや自家用車で帰る選手を見届けようと球場正門の方へ移動した。ほとんどが報道関係の車で、仁村徹が乗っていると思われた車もあとで写真を見たら別人だった。選手の出待ちに飽きてきた頃、球場すぐ近くのお好み焼き屋に人が集まり騒然となった。

 群衆が囲んでいたのは、つる禿頭のドラゴンズTシャツにお殿様風の着物を着た中年男性だった。聞けば10.8の少し前に最終学歴を明治大学と詐称し、参議院議員をクビになって話題を集めた新間正次というではないか。

 1972年から1993年にCBCラジオ「ラジオ朝市」のパーソナリティをつとめ、リスナーから新間ちゃんと呼ばれるほど親しまれていた彼は庶民派のイメージを大切にしたかったのか次々と押し寄せる人に握手したり、サインを書いたり、写真を撮らせていた。



 我々も便乗して、握手と一緒に写真に写って欲しいと頼んだ。新間は気軽に我々の要求に応じ、Iが今度の参議院に当選して下さいと新間に言うと、「今度は衆議院だ」と新間は言った。この偽善者めと私は思ったが、思い出になるのでいいと考えた。
 
 握手し、選手の出待ちに戻った3人が口を揃えて、新間と握手したら手が痒くなってきたと言った。割とゴツイ新間の手のひらには漆や山芋など痒くなる物質が塗りつけてあったのだろうか?いや偽善がそうさせているのだろう。よくわからないが本当に痒かった。


 長良川橋

 しばらく出待ちをしたあと、解散。10.8は終わった。IとTと別れ、一人寂しく自転車を漕いで私は家に向かった。球場近辺はまだ騒然としていたが、教場を離れればそこは人口が多いだけの田舎の中川区、10時もとっくに回り、静かそのものだった。10.8の気配は街からまるで感じない。中川運河にかかる長良橋を渡っている時、応援グッズを身につけた私に一人の男が球場へ行ったいたのか、仕様がないなと声をかけてきただけだった。

 家に着くと、疲れがどっときた。家族と10.8、新間の話をして、風呂で汗を流し、プロ野球ニュースを観て床に着いた

10.8 ナゴヤ決戦 その7

10.8の試合経過その2

 警察呼びますよ

 予定を変更して30分ほど早めに球場に向かうことにした私とIは全力でけった(名古屋弁で自転車の意)を漕いだ。球場の外には想像以上の人が溢れていた。街頭テレビはなかった。これは痛い。家庭用のテレビを球場の敷地に持ち込んで応援している人の群れに加わるか、どこか高いところから見るしかない。

マンションが幾つかあるのでそこから観ようと私とIは試合が見えるマンションを物色し始めた。

最初狙ったマンションはオートロックで住民しか入れず、ドアをがちゃがちゃ触っていると住民に警察を呼びますよと脅され、ギブアップ。そのあとすぐオレンジ色のメガフォンを持った人が中に入っていったのは悔しかった。こんな日くらい開放しろよなあとIとお互い顔を見ながら話していた。

 住居不法侵入

 そんな時すぐ近くの別のマンションの入り口が応援グッズを持った人でごったがえしになっているのを見た。もしかしてみられるのではと、野次馬根性丸出しで青色の雑踏に飛び込んだ。ドラゴンズファンの群が白っぽい壁のマンションの非常階段を使って上へ上へと目指しているではないか。

上階に上がるほど見えてくるナゴヤ球場、そしてマンションに入る前から聞こえていた歓声とあいまって私とIの心拍数は上がっていった。さらには一番上の階と屋上の間にゴミ置き場があり、捨てられた家具やテレビを踏み台にして屋上に登れることを我々は知った。

そして私たちは警察に見つかったら怒られると多少躊躇したが、我慢が効かず屋上に行くことにした。

 正真証明の中日バカ

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 普通のサイズのマンションであったが、マンションの屋上には優に100人は人がいた。皆メガホンや応援バットを持ち、帽子やドラゴンズのロゴの入ったTシャツを身につけ、応援していた。種々の応援メッセージが入った横断幕、紙吹雪、紙テープ、オペラグラス、酒と万全の応援体制。何より屋上にいたものは皆チケットがなく、溢れてした人たちだ。チケットがないのに応援に来た正真証明の中日バカだ。昔懐かしのCDの英文字の中日帽子を被っている人がいたり、どうやって登ったのかマンションの給水塔に腰をかけて観戦している人がいたりとすごい光景であった。

 スタンドの方から両チームの応援が聞こえ、我々もライトスタンドより流れてくるトランペットに合わせて応援していのだが、中日側の応援は讀賣側に増してすごかった。紳士的な理由からかこのころにはすでに言わなくなっていた かっとばせ○○ ○○倒せ~オウ!と言う相手チームを倒せと言う応援が復活し、

「かっとばせ~彦野! 巨人倒せ~オウ!」

という具合に声を張り上げていた。

我々はTがらーめん竜に来る約束の8時まで広告やニッセンなどの通販カタログを応援用の紙吹雪に加工しながら待つことにした。

 酒なんて飲めるか
 8時少し前にマンションを降り、らーめん竜の方へ行くと途中でTを発見した。Tもらーめん竜が休業で困っていたようだ。Tも子供の頃からの中日バカで屋上観戦の誘いを喜んで受けた。さすがのTも屋上特設会場の群集に驚きを隠せないようだった。

 外国人が売り子を気取って、酒を売ろうと歩き回っていたが誰も買わないのを私は観た。

 当たり前だ。今中がすでに降板し、6-2と中日が劣勢に立っていたからだ。まず4回に村田の右中間へ飛び込む10号ソロ、コトーのレフトスタンドへ20号ソロで5-2。さらに5回には松井の20号ソロで6点目を入れられ、4点差。酒など飲んでいられるわけがなかった。

 彦野の反撃打に紙吹雪舞う

 用意した紙吹雪は我々が屋上で見出した頃から試合が動かなくなり、なかなか使う機会がなかったが、一気に撒き散らす時が来た。6回の裏、センターの前に落ちるポテンヒットを打ったパウエルが斎藤のワイルドピッチで2塁に進み、仁村が倒れ、2死となった後、斎藤のけして悪くないボールをセンター前に打ち、3点差につめよるタイムリーを彦野が打って、中日ファンは大騒ぎだった。

 彦野は愛知高校出身の地元選手で、しかも1991年に靭帯断絶という大怪我して、それを乗り越えてきた不撓不屈の男。そんな選手が打てば盛り上がらないわけがなく、私自身彼の大ファンだったので、紙テープ、ビデオテープを屋上からグランドの方へ大遠投した。紙吹雪に至っては大量に巻きすぎて、用意していた紙が底をつき、生徒手帳まで破って紙吹雪にしてしまった。

 押せ押せムードであったが、斎藤はこのあと後続の中村を落ちついて抑え、さすがエースというピッチングを見せつけた。 
 
 桑田真澄マウンドに立つ

 中日、佐藤秀樹は5回から7回の表終了までの3イニングを無失点と好投した。あとを次いだのは山本、郭ではなく1994年ブレイクした野中であったが、猛威を奮っていた讀賣打線が鎮まり、希望の光が中日の方にさしこんで来た。

 一方の2回からリリーフした讀賣・斎藤は7奪三振、3安打、1失点に抑える好投を見せ、5イニングで7奪三振、3安打、1失点と中日を封じ込めた。中2日、10月6日に6回投げたとは思えない力投を見せた斎藤は7回から桑田にスィッチした。桑田も10月5日に8回投げていた。このようなスクランブル登板に敵ながら私は讀賣の勝利への執念を感じずにはいられなかった。

 ラッキーセブン

 7回の裏、ドラゴンズのラッキーセブンとあって劣勢にありながら紙吹雪、紙テープ、紙テープの代用品のトイレットペーパー、ビデオテープを分解してテープだけにしたものなどが大量にスタンド、グランドに飛びかい、燃えよドラゴンズの大斉唱。大いに盛り上がった中日サイドだが、疲れているはずの桑田を打ち込めず、無得点に終わった。

 立浪執念のヘッドスライディング

 疲労が頂点に達していたはずの桑田だが、彼の投球は鬼気迫るものがあった。球のキレ、コントロールともにすばらしかった。打てそうになかった桑田の球を見て、我々は

「借金野郎」
「桑田はサザンだけでいいんだよ!」

などと野次ることしか術がなかった。

 完璧な投球を続ける桑田真澄に待ったをかける男がいた。桑田、清原和博の2年あとにPL学園に入学し、高校時代、雲の上の存在として桑田を見ていた立浪和義だ。

 8回の裏、先頭打者で登場した立浪はカウント2-1からの4球目、桑田の146キロのストレートを打ち、サード岡崎の前に転がした。ストレートの威力に力負けした打球は高く跳ねあがり、微妙なあたりになった。岡崎はうまくとり、すばやく送球。立浪は身体がベースを触ったあと、吹き飛ぶくらいの物凄い勢いでヘッドスライディングをした。判定はセーフ。場内、場外ともに大喝采だった。目頭を思わず、熱くさせた立浪の執念が見えたヘッドスライディングだった。

 様子がおかしい。立浪がベース上で倒れたまま、起き上がらない。治療のために一旦立浪はベンチに下げられた。球場全体が騒然となった。絶叫という表現がふさわしい立浪コールが沸き起こった。涙ぐむ人もたくさんいた。大の大人の男が涙を流しても、全くおかしくない壮絶な光景だった。

 しかしどんなに待っても立浪は帰ってこなかった。立浪に代わって、代走に鳥越が出された。

 落合が立浪の打球の処理をしようとした際、内転筋を痛め退場し、今度はその立浪が左肩を脱臼し、退場した。なんという巡り合わせなのだろうか。落合がかけた呪いのような気もしないではなかった。
 

 なぜ郭、山本を出さない

 立浪の負傷退場の余韻が残る中、9回の表、讀賣の攻撃がはじまった。ここを0点に抑えなければどうしようもない。郭源治をに替えろ、もしくは山本を出せという声があちらこちらから聞こえてきた。しかし9回の表のマウンドに中日が送ったのは8回から投げていた野中だった。星野前監督が付けていた背番号77で終盤活躍した野中だが、郭、山本と比べれば何枚も下の投手。私は立浪の捨て身のプレイがあったばかりなのに、野中をマウンドに立たせた中日首脳陣の選択を信じられなかった。

 長嶋帰れ!引っ込め!

 野中は先頭打者・川相にいきなりセンターバックスクリーンに大飛球を打たれた。これから追撃しようと言う場面でホームラン。強い絶望感でいっぱいになった。だから郭に投げさせろと言ったのに!ところが様子がおかしい。ホームランのファンファーレが球場に流れなかったからだ。

 完全にホームランと諦めた打球はスタンドインしていないと判定され、三塁打。首の皮一枚残った。
 この判定に讀賣サイドは黙っていなかった。長嶋監督がグランドに飛び出した。讀賣ファンは長嶋監督の猛烈なアピールに大興奮。中日ファンは長嶋帰れ!引っ込め!入ってない!と怒号上げ、そしてブーイングで対抗した。

 判定は覆らず、三塁打。ピンチは続いたが、レフト清水の大ファインプレーもあり、奇跡的に9回の表を0点で抑えた。神懸りな出来事が続いた9回の表。奇跡が起こる気がしたのは私だけではなかったはずだ。 


 奇跡は必ず起きる

 9回の表を無失点に終えられたのは幸運だった。6-3と6-4ではやはり違う。満塁ホームランを打てば、サヨナラの得点差だ。私の頭にはこの時2つの大逆転試合があった。

 一つ目は1989年8月12日ナゴヤ球場、讀賣VS中日。9回一死までノーヒットの斎藤雅樹(讀賣)から放ったライトスタンドへの起死回生の逆転サヨナラ3ラン。9回表を終わって3対0、讀賣の勝利は間違いなく、両チームのファンの注目は斉藤がノーヒットノーランを達成するかどうかだった。ところが9回裏1死から代打の音重鎮がチーム初安打を放ち、2死後、3番仁村徹がタイムリーを放ち1点を返し、4番の落合博満が斉藤の球を綺麗に中日ファンで埋め尽されたにライトスタンドへ運びサヨナラ勝ちした試合。

 もう一つは1991年7月19日ナゴヤ球場、讀賣VS中日、7回表まで8対0と一方的にリードしていたが、中日は落合博満の14号ホーマーなどで反撃ののろしをあげ、8回裏4点差に迫って、中村武志が代打同点満塁ホームラン。そして10回裏、再び中村に打順が回り、サヨナラホームランを打った試合だ。

 野球は最後までわからない。逆転できる。私はそう思った。私の横で応援するIとT、スタンドで応援する中日ファンあるいはマンションの屋上に登ってまで応援するドラ狂も同じ気持ちだっただろう。

 中日ファンの勝手な思い込みと思われるかもしれないが、130試合目にこのような決戦が行われることを誰が予想できただろうか。10.8ナゴヤ決戦が行われていること自体が奇跡だ。これから3点差を返し、サヨナラ勝ちする奇跡は起こりうるはずだ。ライトスタンド、屋上の歓声は一際大きくなっていった。 

 痛烈なゴロと折れたバットが桑田を襲った

 先頭打者、中村。代打同点ホームラン&サヨナラホームランを1試合で打った奇跡の男に私は期待をかけていたが簡単にサードゴロに打ち取られてしまった。

 続く打者は投手の野中。当然代打だ。三塁側スタンドで応援しているオリックスのイチローに中日ファンなら出て打ってくれとかモッカ出ろ(とっくの昔に引退)、守道打てとか叫んだ。高木守道、モッカや宇野勝はともかくスタンドで観戦している200本安打男イチローに出場して欲しいと思った人は多数いたはず。とにかく誰でもいいから打って欲しい。必死だった。

 実際に代打に出てきたのは前原。高木監督好みの俊足、攻守、そしてバッティングもそれなりの選手だ。バットを折りながらもい痛烈な打球が桑田を襲う。桑田はマウンドで倒れ込みどっと歓声が沸く。しかし冷静に送球、前原はヘッドスライディングするも間に合わず。相手が悪かった。桑田や西本聖のようなフィルディングのうまい選手でなければアウトに出来ないような難しい打球だった。前原を打ち取ると桑田は冷静にマウンドに戻った。憎たらしい奴、桑田。折れたバットで怪我をすればよかったのにと思ったがそんな様子はまったくなかった。

 ラッキーボーイ出塁

 歓声が一際大きくなっているのを私は強く感じた。あと一人!あと一人!と讀賣ファンのあと一人コール。なんとかして打てという中日ファンの声援。2種類の歓声が尾張名古屋で激しくぶつかっていた。
 9回の裏、2死。迎え撃つのは9回の表に原の抜ければ長打のあたりを好捕した清水だ。高校野球でもプロ野球でもいわゆる伏兵が大事な試合を決めることはよくある。清水はファインプレーを見せるなどツキを持っているように感じた。願いが通じたのか清水はセンター前にヒットを放った。ラッキーボーイが出塁した。
 紙吹雪、紙テープを投げ、喜ぶ中日ファン。望みが出てきた。

 小森のバットは桑田のカーブに空を切る

 9回2死ながらランナーに俊足・清水をおいて1994年全体のラッキーボーイ小森が打席に立った。走れ清水、打て小森。怒号に近い声援が桑田を襲った。

 「小さいけれど根性は日本一」

 身長約165センチの小森の応援歌が讀賣ファンの桑田に対する声援を割るかのようにナゴヤ球場に響き渡った。しかし小森は桑田にまったくタイミングが合わなかった。小森のバットは桑田のカーブに空を切った。三振。小森の小さな身体がいっそう小さく見えた。あっけない最後だった

10.8 ナゴヤ決戦 その6

10.8の試合経過その1

CAUTION!

 試合途中自宅からナゴヤ球場近くのマンションの屋上まで移動していた空白の時間が30~40分あります。すでに8年経過していますし、中継のビデオやスポーツ番組の10.8特集を何回も観たのでどこまで実際観たのか、あるいは後にテレビモニターで観たのか記憶があいまいです。落合の負傷はテレビで見て、移動の為、村田やコトーの本塁打はほとんど印象にないので観ていないはずで、おそらく松井の本塁打も観ていないなく、彦野の逆転打は実際に観た記憶があります。

 完全試合男槙原VS巨人キラー今中

 勝ったチ-ムが優勝と言うナゴヤ決戦は第2土曜日で学校は休み。私は昼近くまで寝て起きて、近所の眼鏡店へ当時流行していた縁なしの眼鏡の注文をして、応援グッズの準備ををしながら、ナゴヤ決戦が始まるまで時間を潰した。

 6時過ぎに東海テレビにチャンネルを変えるとすでにゲームははじまっていた。ナゴヤ球場でナイトゲームがある時は通常6時20分のプレイボールだったがこの日は6時から試合開始だった。私は慌ててFUNAIのビデオデッキに用意していた10.8用のビデオテープを挿入した。

 東海テレビの吉村功アナウンサーによると1回の表を中日先発、今中慎二が三者凡退に打ち取ったようで私は胸をなでおろした。当日の大半のスポーツ新聞にはナゴヤ球場で対東京讀賣巨人軍戦11連勝中のエース今中の先発が予想される中日は追いついた勢い、ホームグランドでのゲームで地の利もあり中日優勢と書かれていた。新聞の予想通り、今日も今中で勝てると私は確信した。

 一方の讀賣の先発は地元・大府高校出身の槙原寛己。前年のシーズンオフはFAを行使して中日に移籍することをほのめかしながら結局讀賣に残り、この年5月には完全試合を達成した槙原を名古屋の人間でよく思った者はいまい。

 地元の人間なのに10.8によく先発できるものだと勝手に憤慨した私だが何かと大試合に強い桑田が出てくるよりはいいと思った。それに槙原はこの年完全試合を達成しているものスクランブル体制でリリーフした10月6日にメッタ打ちに遭っているからだ。


 拙守のコトー、グラッデンがスタメンなら勝てる


 もう一つ守備のうまい屋鋪、緒方ではなく、守備がおそろしく下手で肩が悪いコトー、グラッデンが外野手としてスタメンになっているのを見て、私は勝てると思った。左中間に打球を飛ばせば向こうが勝手にエラーしてくれる。コトー、グラッデンの拙守で相当勝てる試合を落としたのに長嶋はアホだと思った。

 アンラッキー

 桑田より槙原の方が打てそうという私の予感が的中した。1回いきなり先頭打者の清水が右中間を破るツーベースを打ち、ボルテージが上がった。がしかし、先取点のチャンスで小森が痛恨のバント空振り。飛び出した二走の清水が刺された。好機を逃したかに見えたが、小森はすぐにライト前ヒット。だが後続の大豊の一本足打法から放たれた痛烈な当たりは無情にもセカンド真っ正面へのゴロ。4-6-3のダブルプレー。チグハグでアンラッキーな中日の攻撃だった。

 落合の芸術的な一振り

ピンチの後にチャンスありという野球のセオリーがある。2回の表、讀賣の4番落合は甘く入った今中の2球目を見逃さず右中間への運んだ。外角の球を力まず、放物線を描かせスタンドへ。この一振りが3億円の価値だと言わしめる技ありの一発だった。

 10.8直前までの落合、4番を1年間打っていながら本塁打はわずか14本、打率は2割七分台、打点は66と四番失格の成績だった。そんな落合にエース今中が打たれた。信じられなかった。

 去年までは中日の選手だった落合。

これまで全然打てなかったのになぜだ!

なぜこんな試合で打つんだ!

死ね!落合!

おまえなんか死ね!

この時、私は落合が人間に見えなかった。

悪魔に見えた。

金の亡者落合に打たれた!


 次打者原はライトフライの抑えたもの、6番グラッデン、7番元木に続けてセンター前に運ばれ、村田を四球で歩かせ、槙原がセカンドゴロを打つ間に1点を追加された。2-0とした。恐ろしい讀賣の猛攻。2点も取られたというより、よく2点でおさまったという感じだった。


 槙原陥落

 序盤とは言え、いいピッチャーが揃っている讀賣相手に2点のビハインドは私を焦らせた。しかし首位打者がほぼ確定のパウエル、本塁打王の大豊、立浪など強打者、巧打者が揃う中日。私は自分に2点くらい簡単に返せるはずだと強くいい聞かせた。

 2回で2失点と今中の調子の悪さが目立つ序盤だったが、槙原も同じくらいよくなかった。2回の裏、パウエル、仁村、彦野、中村と4連打を槙原に浴びせ、2-2の同点に追いつき、2回途中で降板させた。

パウエルのヒットは一塁後方へのポテンヒット、仁村のヒットはライトへつまった打球、彦野のセンター前もバットを折りながら放たれたもので、3本も続けて当たり損ねのヒットが続いた。加えて中村がレフト前へタイムリーヒットを打ったときも、グラッデンがボールの処理に手間取ったことにより、中日は1点余分に点を得た。中日野手陣の執念から生まれた当たり損ねのヒット、そして左中間の守備が脆いという讀賣の大きな弱点が露呈され、讀賣、讀賣の槙原は完全浮き足だった。

グラッデンやコトーを使っている以上勝てる。長嶋はやはりバカだ。私は勝利を確信した。

 武志の過ち

 槙原の後を受けてマウンドに上がったのはなんと10月6日に先発し、6回投げたばかりの斎藤雅樹だった。

迎え撃つ中日のバッターは今中。ノーアウト1、2塁のチャンスとは言え、同点に追いついているし、まだ2回。今中は中日のエース、しかも絶対的なGキラー。高木監督の采配は正しかったと思う。

しかし今中はここで送りバントを失敗。彦野が3塁でフォースアウト。続く清水は空振り三振をし、こともあろうに2塁ランナー中村武志が飛び出し、村田真一の送球でタッチアウト。

一瞬何があったか、理解ができなかった。サインミス、あるいはアウトカウント間違えたのだろうか。原因はわからない。原因はどうであれ、アウトはアウト。私はチャンスを潰した中村に憤慨した。
 
 松井の送りバント

 3回の表、やはり今中の調子はよくない。先頭打者川相がライト前に運び塁に出ると、3番松井が送りバントを決め、川相を2塁に進めた。2年目とまだ若手の松井であったが3割近いアベレージを打ち、本塁打も19本。4億の年俸は詐欺とまで言われた落合よりよほど打っていた。シーズン中、10.8の前なら首をかしげる采配だが、ここはこれで正解である気がした。

全く素人の私から見ても10.8の落合はシーズン中の落合と違う。何かオーラのようなものを持っていた。ものすごい気迫がテレビの画面を通して伝わってきた。こんな落合は88年優勝した時でも見た事がなかった。おそろしい。


だめだ。今中、落合は歩かせろ。

三冠王 落合博満

 私の悪い予感は的中した。今中が投じた2球目143キロのストレートをライト彦野の前に落とした。強肩彦野の乾坤一擲のバックホーム。しかし中村はうまく捕球できず、川相をタッチすることができなかった。川相が生還して3-2。逆転された。今のは武志が悪いと捕球できない中村を私は責めたが、この日の解説者・達川光男が今のをとっていたら中村のファインプレーですねと独特の広島訛りで解説していたので難しかったのだろう。ただ素人目には簡単にとれる送球に見えた。

 1打席目のホームランと違い、2打席目のタイムリーはけして美しい打球ではなかった。しかし落合が狙って打ったのは間違いなさそうだった。82年、85年、86年の三冠王をはじめ、MVP2回、首位打者、本塁打王、打点王各5回など数多くのタイトルを手にした落合。衰えがささやかれたが、やはり恐ろしい男だった。今まで落合は何をしていたんだ。手を抜いていたんじゃないのかと思わせるような活躍だった。デッドボールで怪我をさせておけば良かったと強く思った。

 呪い 

 今中は落合に打たれた後、なんとか踏ん張り後続を切り、落合のタイムリーによる失点だけに抑えた。3回の裏1死、立浪の打席の時にアクシデントが起こった。立浪が打った一塁へのゴロをさばく時に讀賣のファースト落合が足をすべらせて、転倒したのだった。股を押さえ、苦悶の表情をする落合。私は裏切り者に対する天罰だ。

死ね落合、退場しろ。

 担架に運ばれ、ダグアウトに下げられた落合。何の因果か、まったく予想もしなかった事態となった。前年まで中日でプレイし、長嶋茂雄の誘いでFAを行使し讀賣へ行き、かつてのチームメイト相手に優勝決定試合で鬼のような活躍をした落合に対しての名古屋の人、中日ファンの呪いだったかもしれない。1994年日本シリーズには出場できず、1996年オフには清原がFAを行使し讀賣入団を決めると追われるように自由契約を選択し、日本ハムファイターズへ移籍し、その日本ハムではまったく活躍できず、1998年20年間の現役に終止符を打ったからだ。

 呪いはともかく三冠王落合が最後に輝いた試合こそ、この10.8だったと断言できる。

 担架で運ばれた落合は歩くことさえ困難だったが4回の裏まで一塁を守った。孤高の男、一匹狼などと言われ、自らオレ流という発言を繰り返していた落合博満にはチームプレイをしないイメージが私だけに限らず、野球ファンの中にあったと思う。しかしこれに勝るチームプレイを観たことがない。
プロフィール

デスペラード持田

Author:デスペラード持田
名古屋グランパス、カズファンだが、サッカー実技は母校・惟信高校の練習試合用シャツの10番をウケ狙いで着せられたCF、OH。カズの代表復帰、Jリーグの改革案を日夜、中日スポーツに投書していた。サザエさん、Every Little Tihng持田香織を寵愛。愛知学院大学歴史学科卒。卒論は近衛文麿内閣について。カレー、ガイア、カンブリアも大好き IS01、IS05ユーザ

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