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10.8 ナゴヤ決戦 その4

中日ドラゴンズ選手紹介

打者は打順、守備位置、選手名、打席、打率、本塁打、打点、盗塁の順に記載

投手は打順、選手名、投球スタイル、勝利、敗北、セーブ、防御率の順に記載

中日ドラゴンズ スターティングメンバー

1番レフト 清水雅治 右打 .275 0 18 23

 高木監督と星野監督では使う選手がかなり違うが清水もそんな選手の一人。高木監督の下では清水はよく代走、守備固め、調子が良ければスタメンとよく使われ、1994年は108試合出場。
 10.8では9回に原辰徳の打球を好捕。さらには9回の裏2死の大詰めの場面でセンター前に望みを繋ぐヒットを放つ。

2番セカンド 小森哲也 両打.333 0 2 1

 身長が165センチと小柄であだ名はチビとそのまんま。小柄ながら中日で活躍した小兵選手、上川誠二の「根性なら日本一~」という応援歌を継承した男。
 通算成績が86~97年在籍して173試合、335打数71安打、打率.212、8二塁打、2三塁打、0本塁打、16打点。というまったくたいしたことがない選手。守備要員、代走要員である。なぜ大事な10.8というゲームに髙木監督が起用したのかイマイチわからない。
 10.8の前後には調子が良く、先発が予想された桑田ともそれなりに相性が良かったのでスタメンに起用されたが、一回無死二塁、バントの構えからストライクを見逃し、二走・清水の憤死を招き、9回の裏2死の大詰めの場面で桑田のカーブを空振り三振し、号泣した。

 実は小森は10.8の3年後1997年シーズンオフに発覚した脱税事件の主犯で鳥越に経営コンサルタント(脱税を指南した会社)を紹介したことも忘れてはならないと思う。(事件が発覚したときはすでに引退を決めていた。)
 多くの野球選手や名古屋グランパスエイトの選手、元幕内力士が関与した脱税事件。その発端は小森、中日の小森哲也だった。小森は賭け麻雀で300万の借金を作り、その経営コンサルタントに泣きつき、交換条件としてプロ野球選手を紹介するということになってしまった。その結果、多くの選手が脱税に関与することになったのっだった。14試合30打数

3番ショート 立浪和義 左打 .274 10 53 12

 攻守巧打で落合がいなくなった中日を引っ張った。10.8ではもっとも印象の残るキーマン。
 まず三回のウラ一塁に痛烈なゴロを打ち、捕球しようとした落合の足を滑らせ、左足の内転筋損傷のさせる。その結果、退場に追い込んだ。
 さらに八回のウラ、内野ゴロを打った際、珍しく一塁にヘッドスライディングし左肩を脱きゅうして退場。ただの内野ゴロをヒットに変えた執念のヘッドスライディングだった。場内が騒然とし、正しく絶叫と言うべき立浪コールが起こったのは今でも忘れられない。

4番ファースト 大豊泰昭 左打 .310 38 107 1

 台湾出身だが日本の学校を卒業し、中日の球団職員をやっていたので日本人扱いという選手。王貞治に憧れ野球を始めた大豊は一本足打法を会得し、1994年は本塁打王に輝く。外野フライをグラブではじいてホームランにしてしまったり、鈍足であったり、またスランプ時は大型扇風機になるなど欠点が多いが、真面目な性格で名古屋の人に愛された存在。一時期、阪神に在籍していたが戻ってきた。三国志おたくとしても有名。

5番センター アロンゾ.パウエル 右打 .324 20 76 3

 1994年も含めて4年連続の首位打者を獲得した安打製造機。真面目で陽気な性格でファンからとても愛された選手。だが肝心なチャンスでは弱かったのが痛い。1998年にもう一人の真面目男、大豊とともに阪神へ移籍する。ニックネームは「ゾウ」。やたらとポテンヒットを打つ人だった。

6番サード 仁村 徹 右打 .258 4 30 3

 仁村薫の実弟。右打を得意とした人気選手。99試合 306打数

7番ライト 彦野利勝 右打 .284 6 49 1

 1991年6月18日、大洋戦で延長10回サヨナラホームランを放つも一塁ベースを回ったところで転倒してしまい、じん帯を痛めて退場したというエピソードがあまりにも有名。(代走は山口幸司。ホームランを打った選手に代走が送られたのは史上2人目。)
人工靭帯を左足に入れて奇跡の復活を遂げ、10.8でも3点目となるタイムリーを斎藤から放つ。
 小さな身体でありながら、核弾頭として本塁打を量産する地元愛知高校出身の彦野は人気が高く、今でも名古屋の民放番組によく出演する彼は歌がうまいことでも有名で何枚かCDをリリースしている。
   
8番キャッチャー 中村武志 右打 .256 9 50 1

 名古屋で「たけし」と言えばビートたけしではなく、 中村武志。それくらい人気がある選手。意外性が高く、大事な場面で逆転打を打つ。たぶん星野監督に一番殴られたと思われる選手。2001年オフ、FA宣言していた横浜の谷繁が中日入りし、出場機会が少なくなることを懸念したのか横浜へ移籍を決めた。
 ラジオの生番組で涙を流しながら移籍の意志を表明していたことが個人的にとても印象に残っている。
 10.8ではタイムリーを放つがアウトカウントを間違え2-3塁間で憤死という醜態をさらす。

9番ピッチャー 今中慎二 左投 13-9-3S 2.88

 前年は山本とともに最多勝。この年も13勝と得意の80~90キロ台スローカーブ、140キロを越える速球を中心とした投球の組みたては冴え渡っていた。
 10.8直前までに今中はナゴヤ球場での讀賣戦に11連勝中、さらに最大10.5あったゲーム差から追いついてきたと言う中日の勢いに讀賣は焦りを感じていたはずだ。それにも関わらず敗北。一番の敗因はもちろんこの今中にあった。抜群の讀賣キラーであった今中慎二がこの試合に限ってなぜ打ち込まれたのか、今更ながら理解に苦しむ。

途中から出場した中日ドラゴンズの選手

代打 

D.ジェームズ  左 .263 8 40 4


 4回の裏、今中の代打として登場。印象がほとんどない選手。すぐに帰国したし。
 

川又米利 左打 .269 2 12
 
 ピッチャー佐藤の代打として登場。甘いマスクで女性に人気。通算代打本塁打は15のセリーグ記録(当時)とチャンスに強い選手。左投手に弱いため、守備が下手なためスタメンで出場してもよく替えられた。104試合185打数

前原博之 右打 .206 4 26 1

 星野監督は使わないが、高木監督は同じ県立岐阜商業高の出身とあってかよく使う選手。守備はうまかった。名古屋を中心にタレント活動をする矢野きよ実と結婚し、のちに離婚。現在は西武の選手。
 10.8ではピッチャー野中の代打として9回の裏1死に登場。バットを折りながら桑田を強襲するゴロを打ち、ヘッドスライディング。しかし球界屈指のフィルディングの桑田にさばかれ、惜しくもアウト。

代走

3番ショート 鳥越裕介 右打 .224 0 3 2

 10.8では負傷した立浪の代走に出て、9回の表はそのままショートを守った。
 脱税が発覚した最初の選手としても知られる。1997年の脱税事件のほとぼりが冷めた頃、ダイエーに移籍。脱税事件が発覚した原因は鳥越が愛人的存在である名古屋のホステスとトラブルを起した際に、慰謝料などの話になって弁護士が口座を調べたらあまりにつじつまが合わないということによる。それで他の選手の脱税も芋つる式に発覚したというわけである。30試合 67打数

リリーフした中日ドラゴンズの投手

山田喜久夫 左投 2-0-0S 3.28

 山田は大きなカーブを武器にする小柄な投手、山田喜久夫(のちに一時期キク、キク山田と名乗ったことも)は地元、東邦高校出身とあり、人気抜群であったが、プロで活躍するのはスピードが足りなかった。センバツ優勝投手として期待されながらほとんどワンポイント、敗戦処理の扱いで現役を終える。
 個人的に応援していた投手だが、絶対勝たなければならない10.8にこの程度の投手が登板したのか、高木監督に聞きたい。

佐藤秀樹 右投 7-9-0S 3.14

 のちに西武へ移籍。1997年の脱税事件でも問題になる。山田や野中ほどでもないが大した投手ではない。この程度の投手が出るべきではなかった。

野中徹博 右投 0-1-1S 3.16

 元々はダイエーの選手で台湾野球を経て、テストで中日に入団した苦労人。なぜか星野仙一の77番をつけていた時もあった。ローテの谷間を投げたり、中継ぎをしたりする投手で大した成績を収めていなかったが、10.8になぜか登板。21試合 31.1イニングス

10.8に出場しなかった中日ドラゴンズの主な選手

野手

種田 仁 右打 .158 3 10 6

 中日時代の愛称はマイケル。今はタネ。中日時代の晩年ガニマタ打法を編み出し、2000年11打席連続出塁という代打での日本記録を作り、のちに横浜へ移籍。ケチだという噂があったがまさか脱税をするとは…。

神野純一 右打 .193 0 1 5

 内野手。耳がデカイためダンボというあだ名。三つ子ちゃんのお父さん。46試合 83打数

松井達徳 左打 .221 0 5 0

 外野手。まついたつのりと讀賣くさい名前でよくからかわれていた人。実際のあだ名はサイボーグ。44試合 68打数

酒井忠晴 右打.200 0 0 0

 内野手。のちに千葉ロッテに移籍。66試合 45打数

 
山本保司 右打.193 0 3 0

 のちにロッテに移籍する内野手。25試合57打数
井上一樹 左打 .255 0 4 0

 投手から外野手に転校して間もないころだった。当時は今のようにピンクのリストバンドをしていたのか不明。30試合 51打数

矢野輝弘 右打 .217 1 2 0 35 46

 のちに阪神に移籍して、2002年星野阪神で大ブレークするがこの時は並の捕手。外野を守ることもある。

山崎 武司 右打 .262 3 13 0 38 42

 キャッチャーで入団したが、中村がいて芽が出ないことから外野へコンバート。1996年恐竜打線爆発の年、本塁打王に輝くがこの時はまだ控え選手。趣味はラジコン。

投手

山本 昌広  左投 19-8-0S 3.49

 背中を屈めた感じの特殊なスリークォーターから投じられるスクリューボールを武器とする投手。前年から2年連続で最多勝。

郭 源治 右投 8-7-2S 2.45

 台湾から帰化した選手。中日引退後も台湾で外国人選手としてプレイし、現在は名古屋市栄で中華料理店を経営。年によって先発をやったり、ストッパーをやったりしたピッチャーだが、私はやはり吼える守護神と呼ばれていたストッパーとしてのイメージが強い。
 のちに宣(中日―引退)や佐々木(横浜のちにマリナーズ)に抜かれるもの、1988年優勝時に打ちたてた37セーブの日本記録の樹立は鬼気迫るものがあった。7回、8回でもマウンドに上がり、数々のピンチにおき相手打線を鎮圧した姿はまさに火消し。宣、佐々木、ギャラードもすばらしいが、彼らはほとんど1イニングしか投げないストッパー。ピンチとあればいつでも投げる郭源治は佐々木以上のストッパーだと思う。
 10.8ではピンチの場面がたくさんあったが、なぜか投げなかった。9月28日6イニング、10月1日1回と2/3イニングに投げた彼。故障をしていたわけではないから投げようと思えば投げれたはず。投げなかったのは桑田と防御率のタイトルを競っていて、打たれたときのことを考えたためか?10.8の謎の一つ。
 結果、防御率のタイトルを得た郭だが、ファンとしては吼える守護神にマウンドに立ってもらい、讀賣の火を鎮めて欲しかった。

小島弘務 右投 6-4-8S 1.53

 ローテの谷間に先発したり、ストッパーやったり、中継ぎやったり忙しい投手だった。

ドゥエン.ヘンリー 右投 3-7-0 3.48

 ボールは速いがノーコン。31試合 67.1イニングス

北野勝則 左投 2-2-2S 2.28

 横浜から来た左のサイドスロー。ワンポイント。44試合47.1イニングス

鶴田 泰 右投 2-5-0S 5.19

 現在は広島東洋カープ。そこそこのローテ投手。22 試合 60.2イニングス

落合英二 右投 2-1-1S 3.18

 1999年の優勝に中継ぎとして大活躍する彼だがまだこの時は故障が癒えてなく、使い物にならなかった。27 試合 34イニングス

小松 辰雄 右投 1-2-0S 6.26

 スピードガンの申し子もこのころはもう晩年。かつてのスピードはなく、故障がちでよく一軍、二軍とさまよっていた。10試合 41.2イニングス
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デスペラード持田

Author:デスペラード持田
名古屋グランパス、カズファンだが、サッカー実技は母校・惟信高校の練習試合用シャツの10番をウケ狙いで着せられたCF、OH。カズの代表復帰、Jリーグの改革案を日夜、中日スポーツに投書していた。サザエさん、Every Little Tihng持田香織を寵愛。愛知学院大学歴史学科卒。卒論は近衛文麿内閣について。カレー、ガイア、カンブリアも大好き IS01、IS05ユーザ

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