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10.8 ナゴヤ決戦 その9

オレンジと黒のメガホン破壊

 10.8の翌日9日は日曜日、10日は月曜日だが体育の日。10.8が終わってはじめて惟信高校へ行った日は10月11日火曜日だった。あいだに休みが2日間あったものやはり10.8は話題の中心だった。野球に興味のないと思っていたクラスの女の子もすごかった、悔しいと友達同士で話していたし、先生によっては授業の大半を潰して10.8の話をした。なかでも英語グラマー担当の先生は延々と立浪の話をしていたと印象に残っている。

 私とI、それから違うクラスのTも10.8を肉眼で観た人間。私はIと一緒にクラスメイトに俺たちはマンションの屋上へ非常階段やゴミ捨て場のゴミを踏み台にして登って実際に観た10.8、新間正次に出会ったこと、立浪のヘッドスライディング、裏切り者落合の活躍など試合の過程について熱く語り回った。そして讀賣ファンのクラスメイトをつかまえては、郭を出せば勝てたとか落合はうっとしいとか言って八つあたりをした。

 Iに限っては讀賣ファンのクラスメイトに愚痴を言ったくらいでは納まらなかったようで球場外で拾ったボロボロになった讀賣のオレンジと黒のメガフォンをカッターナイフで切り裂き、足でぐちゃぐちゃに踏み潰した。学校でそんなことやるとは恐ろしいやつだが、気持ちはわからないでもなかった。目の前で長嶋が胴上げされたのを見れば中日ファンなら誰でも頭にくるに決まっている。彼の怒りを鎮めるべく、真新しい縁なしメガネをかけた私もメガフォン破壊に参加した。このあともIは怒りが収まらないのか色々破壊したが割愛することにする。

 高木監督の退場劇

 高木守道監督は3年契約の3年目を全うし、10.8を最後にユニフォームを脱ぐことになっていた。しかし試合後、ファンからの強い続投希望、3人のベテラン選手が説得し、高木監督は契約を更改した。
 ところが翌1995年、中日はシーズン当初から最下位と低迷。シーズン半ばで高木監督は辞任を発表。辞任をする日になんと寡黙で真面目な高木監督が審判への暴力行為で退場処分を受け、多大な実績を残しながら引退セレモニーを行わないまま、ユニフォームを脱いだ。

 星野竜復活

 その後2度の監督交代劇の果て、1シーズンに3人の監督(高木、徳武、島野)が指揮を執るという異常な事態となった。成績は好転せず、終盤になるとナゴヤ球場のライトスタンドに横断幕が掲げられるなど星野監督待望モード一色に変わった。


 いけなかった10.6

 そして迎えた1996年、星野仙一がNHK解説者を経て、ナゴヤに帰ってきた。監督が星野仙一に変わった効果は覿面で中日は再び優勝争いに加わった。シーズン終盤になり、1994年の再現となった。
 1996年10月6日日曜日、首位・東京讀賣巨人軍75勝残り2試合(2試合とも対中日戦)、追う2位は中日ドラゴンズ72勝残り3試合。中日は讀賣に直接対決で2連勝し、讀賣を75勝にとどめて、残りの1試合も勝てば史上初のプレーオフに持ち込めた。逆に言えば負けた時点で讀賣の優勝が決まる断崖絶壁だった。一方の巨人は残りの2試合のうち、1勝すれば優勝、2連敗しても中日が最後の試合で負ければ1994.10.8を制して以来の優勝が決まるという優勢に立っていた。

 このような局面、私はナゴヤ球場へ観戦に行くどころか、テレビ中継を見ることもできなかった。当時、大学1年生だった私は大手スーパーの肉屋でバイトをしており、仕事でいけなかったのだった。そのかわりに私の弟が観に行ったが、10.8の時のようにマンションの屋上から試合を観ることはできなかったという。おそらく10.8のようにマンションの屋上から観戦する者が現われることを警察や球場、球団関係者は容易に予測できたのだろう。

 メークミラクル

 10.6、試合は終始巨人ペース。中日はパウエルなどクリーンナップが打てなかったのが痛かった。この日再び長嶋監督が名古屋の空に舞うこととなった。この日は中日にとって地元最終戦、しかもナゴヤ球場最後の公式戦でもあった試合に中日はまたしても敗れた。
 最大11.5ゲーム差をひっくり返しての逆転優勝。メークミラクルの完成だった。讀賣ファン、いや日本中がメークミラクルと騒いだ。長嶋は日本一の監督だとテレビでは特番が多く組まれた。屈辱的だった。


 本心か?ジャイアンツファンの皆さん、優勝おめでとう

 敗れた中日側にはナゴヤ球場最後の日だったことさえあまり取り上げられなかったが、試合後の星野監督の挨拶はクローズアップされた。星野監督は優勝の余韻に沸き返るレフトスタンドの讀賣ファンを見ながら「ジャイアンツファンの皆さん、優勝おめでとう」と言ったのだ。星野は何を言っているんだと当時の私は憤慨した。
 ドラフトで讀賣が星野を指名をするといいながらと指名をしなかった私怨がある星野。球界屈指の巨人キラー、巨人嫌いとして有名な星野仙一がなぜあのようなセリフを言ったのかよくわからない。社交辞令だったのだろうか。ただあの言葉の裏には讀賣に負けた強烈な悔しさがあったに違いない。

 レフトスタンドの讀賣ファンは拍手喝采。ナゴヤ球場は48年の歴史に幕を閉じた。(その後サザンオールスターズ、チューブがライブ球場に使ったり、今でも中日の2軍戦が行われているがすでに外野スタンドは取り壊されている。)

 時代は変わる

 星野監督は10.6から3年後の1999年に中日を優勝に導くもの2001年をもって監督を引退。讀賣の長島茂雄監督も引退し、時野流れの速さを感じずにはいられなかった。星野仙一はふたたびNHKの解説者に戻る予定だった。
 ところが何の因果なのか阪神タイガース監督・野村克也の妻、野村沙知代が脱税などで起訴され、それにともない野村監督が辞任し、阪神はなんと前中日監督の星野に監督を要請。中日ファンからの強い反対があったもの、阪神ファンの熱い要望、阪神監督就任に理解ある中日ファンの声によって縦縞の77番のユニフォームを着た星野仙一監督が誕生した。一年目は最下位に甘んじたもの開幕7連勝を含む前半の快進撃は大きな話題になりセ・リーグを盛り上げた。そして悪夢の最下位の翌年、ダメ虎を猛虎へと復活させ、圧倒的な強さで優勝へ導いた。

 時代は変わる。Tは相変わらずの中日ファンだが、Iは97年あたりから讀賣ファンに転身。時は確実に流れているのだ。



 裏切り者から英雄へ オレ流監督誕生

 FAで宿敵讀賣へ移籍、そして優勝決定戦である10.8で今中をメッタ打ちにして、讀賣を優勝に導いた落合はずっと裏切り者とされてきた。私もその一人だ。清原が巨人にFAで入団し、自由契約となり、追われるようにして日本ハム入りし、泣かず飛ばずの成績しかあげられなかった落合を見て愉快で仕方がなかった。落合=裏切り者 裏切り者=落合。名古屋ではそういうことになっていた。
 落合を裏切り者の代名詞にする名古屋市民。そんな名古屋市民の寝耳に水を入れる事件が起こった。

「落合博満 中日監督に就任」

 これには驚いた。そこそこの成績を収めたが人気が今ひとつの山田久志監督に代わって中日を指揮するのは誰かと2003年のオフ名古屋では大きな話題になっていて後任は外様で野村克也元阪神監督か中日OBでは高木守道氏の返り咲き、あるいは谷沢、田尾、牛島などが噂されていた。落合も最初から候補に挙がっていたが一匹狼だからやるわけがないとか、天才肌で人にモノを教えるような性格ではないと言われていたし、讀賣に行った裏切り者にはなってほしくないと落合監督誕生は望まれていなかった。人気獲りならう~やん(宇野勝)でいいじゃないか。それが中日ファンの意見だった。
 そして蓋をあけてみれば落合監督誕生。次から次へと飛び出す発言。「この戦力で十分です。日本一になれます。補強はしません。」という補強と現状選手の解雇と移籍の封印を宣言したのがその最たるものだ。3年間一軍で一球も投げていない川崎を開幕投手にするいわば暴挙ととも言うべき奇策までやった。


 「落合は頭がおかしい。」

 とファンの頭を悩ませたが、終わってみれば実に安定した成績をおさめ、堂々の優勝。後半戦に突入したころから、得点力がなくても安定した投手力、守備で勝ってしまう落合ドラゴンズの野球はオレ流野球という呼び名で定着していたの実に興味深いことだ。



 余談だが10.8ナゴヤ決戦後、お好み焼き屋で会った新間正次はその後、元新日本プロレス過激な仕掛け人・新間寿と兄弟であるためかデスマッチ系のプロレス団体に入門をしようとしたり、孤高の天才漫才師、横山やすしの最後の相棒となるがどれも不発に。今、一体何をしているのか不明。
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デスペラード持田

Author:デスペラード持田
名古屋グランパス、カズファンだが、サッカー実技は母校・惟信高校の練習試合用シャツの10番をウケ狙いで着せられたCF、OH。カズの代表復帰、Jリーグの改革案を日夜、中日スポーツに投書していた。サザエさん、Every Little Tihng持田香織を寵愛。愛知学院大学歴史学科卒。卒論は近衛文麿内閣について。カレー、ガイア、カンブリアも大好き IS01、IS05ユーザ

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